情報が多すぎる時代に、いちばん大切なもの

競馬を長く見ていると、
「情報が多いほど当たるわけではない」
という場面に、何度も出会う。

これは競馬に限った話ではなく、
仕事でも、政治でも、人生でも同じだと思っている。


権威ある情報ほど、危うい

あるレースを予想していたときのこと。
自分の中では、どうにも引っかかる違和感があった。

「能力はある。でも、今回は全幅の信頼を置くほどだろうか?」

そんな感覚だ。

ところが、周囲から聞こえてくるのは
「ここは間違いない」
「特別な情報が入っている」
という、やけに強い言葉ばかり。

それも、経験豊富な人間からの話だ。
肩書きもある。実績もある。

気がつけば、
自分の違和感よりも、その“強い情報”を優先してしまっていた。


結果は、静かに答えを出す

レースが終わると、
自分が感じていた違和感のほうが正しかったことが分かった。

強い情報が間違っていたのではない。
問題は、その情報を自分の頭で咀嚼せず、丸ごと信じてしまったことだった。

他人の◎を、
自分の◎のように扱ってしまった。


情報が悪いのではない

ここで勘違いしてはいけないのは、
情報そのものを否定する話ではない、ということだ。

情報は大切だ。
経験や実績からくる意見には、学ぶべき点も多い。

ただし――
最終判断まで他人に委ねてしまった瞬間、思考は止まる。

そして外れたとき、
残るのは「なぜ信じてしまったのか」という後悔だけだ。


決断の責任は、必ず自分に返ってくる

競馬でも、人生でも、政治でも同じだ。

どれだけ権威がありそうな話でも、
どれだけ自信満々に語られていても、
決断の責任を取るのは自分自身。

だからこそ、
最後に信じるべきなのは
「自分がどう感じたか」
「どこに違和感を覚えたか」
だと思っている。


他人の意見は“参考”まで

他人の意見は参考にする。
でも、判断は自分で下す。

それができなくなったとき、
人は簡単に流される。

情報が溢れる今の時代だからこそ、
この感覚は、ますます重要になっている気がする。


まとめ

当たるか外れるかよりも、
「自分の判断で決めたかどうか」。

それだけは、
いつも忘れずにいたい。


情報に飲み込まれないために、
今日も一度、立ち止まって考えてみる。

「これは、本当に自分の考えか?」
と。

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